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僕も学校やめるから、ママもお仕事やめて。
長男が小学校1年生、7歳の時にマルコが生まれました。その頃の長男は、平日の放課後は学童保育に通い、習い事のサッカーと水泳をやりながら、週末は少年野球チームで活動している元気で活発な男の子でした。反面、繊細で甘えん坊なところがあるので、学校でいじめられていないか、お友達と遊べずに寂しい思いをしていないかと、私は、いつも長男の事を心配していました。そんな心配をよそに、長男は伸び伸びと学校生活を楽しみ、クラスでも放課後も、みんなと仲良く過ごしているようでした。マルコのことも、とても可愛がっていて、友達を家に呼んで「オレの妹だよ。」と嬉しそうに自慢していました。
また、2歳下の弟の面倒もよく見てくれました。「ママは赤ちゃんがいて大変だから。」と、弟におにぎりを作って食べさせてくれたこともありました。弟とはよくケンカもしましたが、基本的には弟思いの優しいお兄ちゃんでした。
長男が2年生になった時、早産で生まれたマルコの成長も順調だったので、私は半年で育休を終え、時短で仕事に復帰していました。仕事と子育てで、時間に余裕のない目の回るように忙しい日々でした。ベッドに入った長男の枕元で、いつものように良く眠れるおまじないをしていたら、「ママ、僕も学校やめるから、ママもお仕事やめて。」と長男が言いました。胸を突かれたような衝撃で、息が止まりました。真剣な表情で「おウチに一緒にいよう」と言う長男に、「ママはリイチも大好きだけど、お仕事も好きなんだよ。会社のお友達の事も好きだから、お仕事に行きたいんだよ。」と話をしたのを覚えています。でも、本当は私も限界だったんだと思います。その日の出来事がきっかけで、夫とよく話し合い、私は仕事を辞めて子育てに専念することにしました。専業主婦として子どもと過ごす時間を選んだことは、私にとっては良い選択となりました。マルコに障害があることが判明したのはその後でしたので、その時点では判断材料に入っていませんでしたが、子どもたち一人ひとりの成長の瞬間に立ち会えたのは素晴らしい経験でした。
障害者だから悪いの?
我が家は、勉強に関してはあまり教育熱心ではなく、周囲の子ども達が塾に通い始めてからも、学校の宿題だけちゃんとやっていれば良いという家でした。当時の校長先生がおっしゃっていた「あいさつ、あんぜん、あとしまつ」という言葉は、まさに社会生活の基本だと感銘を受け、我が家でも標語として使っていました。しっかり挨拶すること、自他の安全を考えること、自分の行動に責任を持つこと。たとえ勉強ができなくても、この3つができていれば充分だと思っていました。長男は、この教えをしっかり守っていました。そして、少年野球チームではキャプテンとしてリーダーシップを発揮するようになりました。小さい頃から音楽が好きで、元々持っていた繊細な部分は、音楽活動を通してさらに磨かれたようでした。
6年生になる頃には、大人にも真っ直ぐに自分の言葉で意見を伝えられる子どもになっていました。私は、悩んだ時には、夫だけでなく長男、二男にも意見を求めるようになっていました。
ある日、私は障害児である妹の存在をどのように感じているか尋ねたことがありました。もしかしたら、周囲の心ない言葉で傷ついたことがあるかもしれない、一人で辛い思いを抱えているかもしれないと思っての質問でした。長男は不快そうな顔で「障害者だから悪いの?なんでそんなこと聞くの?」と言いました。即答でした
自分の中の偏見に気づかされた瞬間
長男に「なんでそんなこと聞くの」と言われた瞬間、サーッと頭の血が引くような感じがしました。私は、「障害児である妹をどう思う?」と聞きながら、「妹が障害児で恥ずかしい。」「普通が良かった。」という回答を期待していたのです。それに対して、どう受け止めて、どのように接するべきかを話すつもりで準備していたのです。しかし、長男は最初からありのままのマルコを受け容れていました。そしてマルコの兄としての自分の存在も、ありのまま受け容れていたのでした。偏見を持ち、普通でないことを恥じいたのは私の方だと気づかされた瞬間でした。